2007年09月08日

諏訪の古代信仰☆ミシャクジ神ワールド

前回から随分と間が空いてしまいましたが、再び諏訪の旅。
茅野市の諏訪大社上社前宮と本宮の間に位置する神長官守矢史料館の裏手にある見所をご案内します。

神長官守矢史料館は、守矢家の敷地内にあるんです。
なので史料館以外にも、見所満載!


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神長官守矢史料館


史料館裏手の丘から撮影。

神長官守矢家(古代に「洩矢の神」と呼ばれていた諏訪大社の祭祀を司っていた一族)の背後には、赤石山脈に連なる守屋山と杖突峠等の山々を控えた扇状地に位置しており、以前は広さ5452坪を四段に構えてくね道が通り、溝水がめぐらされていたそうです。

この守矢家の屋敷の最上段の位置のこんもりとした丘に木が茂り、祠があります。
それが、御頭御社宮司総社です。


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御頭御社宮司総社


こちらには、諏訪の地で古代から伝わる大切な信仰対象であったミシャクジ神(ミシャクヂ・ミサグチ・ミシャグチとも呼ばれる)が祀られています。

ミシャクジ神とは、樹や笹や石、精霊・・・自然霊の事ではないかと私は解釈していますが、人間が空や山などの自然に対する畏れの気持ちから始まる信仰心の対象だったのではないでしょうか。
きっと、諏訪大社が造られる以前からある信仰の地だったのでしょう。

案内板には、「みさく神」として記されています。

『みさく神は、諏訪社の原始信仰として、古来専ら神長官の掌る神といわれ、中世の文献「年内神事次弟旧記」・「諏訪御符礼之古書」には「前宮二十の御左口(みさぐじ)神勧請・御左口神配申紙は神長の役なり。」とある。このみさく神は、御頭(おんとう)みさく神ともよばれ、諏訪地方みさく神祭祀の中枢として重んぜられてきている。』

(茅野市教育委員会の説明看板より抜粋)


さりげなく佇む祠ですが、ただならぬものを感じずにはいられません。


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神長官裏古墳


御頭御社宮司総社の左手奥には、さらにこんもりとした小高い丘のようなものがあります。
これは周辺にある高部古墳群の中で唯一墳丘、石室が保存されている古墳です。
この他、神袋塚・塚屋・疱瘡神塚・乞食塚(前々回の高過庵の記事で少しだけ紹介しています)がこの北側上方の台地に点在していましたが、現在は消滅しています。


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石室を覗く・・・



神長官裏古墳は、円墳で石材は安山岩の他数種の石を混用し、側壁は大小の河原石を積み、天井石は板状節理石を用いています。

昭和13年に調査が行われ、木炭・木棺破片・弥生式土器片・碁石・獣骨片・直刀折片などが検出されたそうです。
そのうち、弥生式土器・碁石・獣骨片は後に混入したものと考えられています。
7世紀頃の古墳と推定されています。

守矢家の七十八代を継承された守矢早苗さんの「守矢神長家のお話し」には、このように書かれていました。

『この塚の存在について、祖母の生前、「あの塚は、いつ頃のものですか」と問われました際、「千二百年以上前の遺物です。用明天皇の御世の我が祖先武麿君の墳墓です。」といった内容の説明をしていたことをかすかに記憶しております。』

とあります。
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祈祷殿


守矢家屋敷の大きな門に入って左手には、祈祷殿があります。
(その奥の右手に史料館があります)

こちらの祈祷殿で、七十六代の守矢実久に至るまで、真夜中に一子相伝の口伝により歴史を伝えてきたようです。

全ては口伝のみ・・・神秘的な儀式ですね。


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守矢家屋敷門


入ってすぐ左手に祈祷殿、右手奥に史料館、前方の丘には御頭御社宮司総社があります。


・・・
・・


最後に、古代に「洩矢の神」と呼ばれていた守矢家と、建御名方命(たけみなかたのみこと)(または、建御名方神(タケミナカタノカミ)とも呼ばれます)の関係と諏訪大社のはじまりについて触れてみたいと思います。


諏訪盆地には、「古事記」に書かれた出雲の国の国譲神話とは別に、もう一つの国譲神話が言い伝えられています。
そのことは、室町時代初期に編まれた「諏訪明神画詞(えことば)」などに記されています。



それによると・・・

大和朝廷による日本統一以前の話になりますが出雲系の稲作民族を率いた建御名方命(たけみなかたのみこと)が諏訪盆地に侵入した時、この地に以前から暮らしていた洩矢神(もりやのかみ)を長とする先住民族が天竜川河口に陣取って迎えうちましたが、洩矢神は負けてしまいました。

「神長守矢氏系譜」によると、この洩矢神が守矢家の祖先神と伝えられているそうです。

出雲から侵入した建御名方命諏訪大明神となり、現在の諏訪大社のはじまりとなりました。
このようにして諏訪の地は中央とつながり、稲作以降の新しい時代を生きてゆくことになりましたが、先住民である洩矢の人々は決して新しく来た出雲系の人々に虐げられたりしたわけではありませんでした。
なぜなら、諏訪大社の体制で分かるように、建御名方命の子孫である諏訪氏が大祝(おおほうり)という生神の位に就き、洩矢神の子孫の守矢氏が神長(じんちょう)という筆頭神官の位に就いたからです。

大祝は、古くは成年前の幼児が即位したといわれ、即位に当たっての神降ろしの力や、呪術によって神の声を聴いたり、神に願い事をする力は神長のみが持つとされており、こういった事から、諏訪の地の信仰と政治の実権は守矢家が持ち続けていたと考えられます。

大祝と神長による信仰と政治の一体化した諏訪祭政体は、古代から中世まで続いたのでした。


(資料:長野県茅野市発行 神長官守矢史料館のしおり)





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