★東京都・町田

2008年04月11日

旧白洲邸 -武相荘- ほんもの の生活を考える

白洲次郎・正子夫妻の住まいを訪ねて・・・

武相荘 -ぶあいそう-

今回は、どっぷりと日本に浸っていきます・・・。
ずっと書きたかったのですが、後回しにしていました。

去年の秋、紅葉が始まる前に、町田市の鶴川駅から徒歩15分ほどの場所へ向かいました。
緑の生い茂る美しい一角に、その目的地があります。



ffd4c4ee.jpg


少しずつ色づき始めた木々が、邸宅の前で迎えてくれます。
奥に見えるのは、邸宅前にあるインフォメーションとお土産屋さんが入った建物。

ここは「武相荘(ぶあいそう)」と名付けられた、白洲次郎と白洲正子、世紀のカップルが、農家を改造して暮らしていた住まいなんです。
この滑稽なネーミングの由来は、武蔵と相模の境にある土地という意味に一捻り加えたもの。


こちらのご夫婦、共にあまりにも素敵すぎて私のちっぽけな脳みそではとても説明できません。
でも、簡単にプロフィールを。


白洲次郎 (1902-1985)

兵庫生まれ。
若くしてイギリスのケンブリッジに留学。
第二次世界大戦にあたっては、参戦当時より日本の敗戦を見抜き、鶴川に移住、農業に従事しました。
戦後、吉田茂に雇われてGHQとの折衝にあたるが、GHQ側の彼の印象は「従順ならざる唯一の日本人」。
その人となりを中学の同級生、今日出海は「野人」と評しているほど。
日本国憲法の成立に深くかかわり、政界入りを求める声も強かったそうですが断り、独立復興後は、東北電力会長等いくつもの会社の経営に携わりました。

白洲正子 (1910-1998)

樺山伯爵家の次女として、東京に生まれる。
父方の祖父である樺山資紀は薩摩出身の軍人で政治家。
幼少より能に親しみ、14歳で女性として初めて能の舞台に立つ。
その後、アメリカのハートリッジ・スクールに留学。
帰国後まもなくしてお互い「一目惚れ」だった次郎と結婚し、戦後は文学、骨董の世界に踏み込みました。

そんな彼らが、1942年から60年近く暮らした武相荘、早速見学してみましょう。


288b2dfa.jpg


長屋門をくぐろうとして・・・んっ??
素敵な新聞入れ・郵便受け。
先客の枯葉がまた良い味出していますね。
文字は、次郎さんの手造りです。

よくよく観察していると、さりげなく次郎さん手造りのもの達が溢れていて、あちらこちら探すのが楽しいのです。


540a83a6.jpg


門をくぐると右手に見える「第二ギャラリー」と呼ばれる離れ(二階に次郎さんについての資料が展示されています)という建物があり、その床下部分がこちら。

奥には「シラス」とくり貫かれた木製の工具箱があります。
やはりこちらも日曜大工好きな次郎さんのお手製。
どうやらこの空間は、次郎さんの作業場であったらしい。
農機具も置いてありました。


また、実用性を重んじる次郎さんは、自作の家具等にコンセントやキャスターを付けたそうです。
二階にある展示室には、それらしきものが幾つかあり、キャスター探しで盛り上がってしまいました。


c30b076f.jpg


お日様の柔らかい光に包まれて・・・
三者三様の椅子たち。



76c4585e.jpg


散策路入り口


母屋の先には、「鈴鹿峠」の道標と山道が。
眩しい光が木々の隙間から差し込んで、キラキラと美しく輝いています。
ちょっとだけ色づいた紅葉も綺麗ですね。


e9cd2c23.jpg


見事な茅葺き屋根がある母屋の玄関


庭内に生えている草木で飾られた鎌倉時代の常滑焼の大壷ですが、まるで生まれたときからここに居たかのように、しっくりと溶け込み調和しています。

武相荘は、シャンとしなければ・・・という高級感ではなく、心からほっと和める安らぎの空間なのです。
室内もしかり。
ため息の出るような素晴らしい室内と骨董品。
でも、それ以上に夫妻の骨董品に対する愛着の深さが伝わってきます。
縁側があって、囲炉裏のある座敷があって、小さな書斎がある・・・。
着飾った風ではなく、あくまでも生活する人ありきの空間。
そして、夫妻と一緒に生活している、愛されているモノたち。
私はそう感じました。


屋内は写真撮影禁止なので、皆様、ご想像下さい。


3a3bfca7.jpg


「素敵だなあ・・美しいなあ・・・。」

気がつけば口から出てくる言葉。
品よく設えられたもの全てに、家主の愛がこもっているといいますか。
心底愛するものを見つけて、ずっとずっと大切に。
そして、愛でるだけではなく実際に触って毎日の生活に使うこと。


写真は、江戸時代の鉄製灯明台に、江戸時代中期につくられた伊万里焼の白磁猪口。
そして季節の草木。

正子さんが、お花について述べた言葉の抜粋です。

「庭の花は、別に丹精こめて世話するわけではないのに、ごく自然に季節になると咲いてくれるでしょう。そういう花はひん曲がっていたり、か細かったりするけれども、私はその方が気に入っている。だいたいこの古い家に似合うような花しか活けません。
花の命は厳しく言うと一日しかないもの。それなのに生け花の展示会が一週間も続いたりするのはおかしいわよ。花ははかない、だからいいのよ。そのはかないものを、焼きものや籠など、かっちりと存在感のあるものにいれて生かす。
花を正式に習ったことはありません。先生は器でした。陶器がこういうふうに活けたら、と教えてくれるの。」


da73bbb6.jpg


庭に鎮座する石仏立像


思わず手を合わせてしまいます。



e3a1bffb.jpg


ああっ!キャスター発見


ここは、長屋門の手前にある休憩処。
外にある囲炉裏で、だんだんと冷えてきた体を温めていた時に見つけてしまいました。
なんとこの囲炉裏も次郎さんお手製なのでしょうか。
移動式囲炉裏、なかなかユニークな発想ですね。

この空間は、次郎さんの愛車、ポルシェ911Sなどを停めていた駐車場だったそうです。


fbb3c3eb.jpg


長屋門、満月、柿の木


散策路をのんびりと楽しみ、母屋や展示室を見学、喫茶で一休みしたりしていると、いつのまにか日が沈もうとしていました。

ちなみに喫茶では、お抹茶セットなどの甘味に加え、前もって電話で予約すれば、正子さんが贔屓にしていた青山「レ・クリスタリーヌ」特製の「武相荘・洋風弁当」がいただけます。
ただし、1日限定24食です。


考え方は人それぞれ。

田舎に住めば不便なこともあるし、蛇や百足だって出てくるけれども、それはここに居れば当たり前の事。
白洲正子さんにとって大切なのは半分自然の中にいる状態なのですね。
古い農家を改装した葦葺きの家なら、家そのものが自然と一緒に呼吸して、雨戸を開けたとたんに木や草の匂い、移り変わる季節を感じる事ができる。
彼女のアイデンティティーは自然と共にあるのですね。


愛するものに囲まれて暮らす。

正子さんの宝石の話。

「ダイヤモンドだって欲しいけれど、気に入るものは高くて手が出ないわ。だから古墳から発掘したガラスだけしか、私持っていないの。
いつか某大使が「ヒスイですか」って聞くから、「ガラス玉よ」といったら、「ナァンダ、ガラスか」って馬鹿にされちゃった。日本の外交官なんて大体そういうもんです。
骨董と同じ様に、ただ眺めてるだけでなく、使わなくちゃ面白くないもんね。」

正子さんが古墳のガラスを購入したのは、日本が高度成長期で開発がはじまった頃。
古墳から色々と出土して、奈良の骨董やさんに出回っていました。
今では無理ですが、その当時は規制がゆるかったのでしょうね。
安かったから、たくさん買ったのだそう。
それを近所の飾り屋さんに持っていって、腕輪や指輪など自分の気に入った形に作ってもらったそうです。



「葬式無用 戒名不用」


白洲次郎が、家族に残した遺言書の言葉。
たった二行の潔さ。


次郎さんの身長は180センチを越し、端正な顔立ち、英国流の洗練された身ごなし。
趣味は車と大工とゴルフ。
正子さんは彼の事を「直情一徹の士(さむらい)」「乱世に生き甲斐を感じるような野人」と評しています。

(引用:白洲正子 ”ほんもの”の生活 新潮社)




武相荘、また季節を変えて訪れてみたいと思います。
休日は思っていたよりも人が多く、意外と混んでいますので、出来るならば平日がおすすめです。
一人で訪れて、喫茶で次郎さんの書籍を読んでいる男性もいらっしゃいました。





■スポット情報


住所 東京都町田市能ヶ谷町 1284
    地図
時間 10時~17時(入館は16時半まで)
電話 042(735)5732
休館日 月曜日・火曜日(祝日・振替休日は開館)
     夏季・冬季休館あり
ウェブサイト
入館料 1000円
小学生以下の入館はできません。 











at 11:21|PermalinkComments(2)TrackBack(0)